fluxiom

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うーん、すげぇ。
時代はどんどんWebアプリにシフトしていくな。
来年には多くのサービスが、こんな風に書き変わっているのだろうな。
しかし、mailのフォームをうまく受けてくれないみたい。enとdeしかないからかな。
でも、まだWeb2.0と呼ばれるこういうのが何を意味するのか全体像が見えてこないな。
きっと、こういう事例の片鱗がたくさん出てこないとだめなんだろうけど。
わかっているのは、こんなことか。
クライアントサイトのアプリケーションというのはハードウエアオペレーションが必要な特定の分野を除いてなくなっちゃう。残るのは、カメラとかキーボードとか電子認証とかデバイスインタラクションが必要なものくらいかな。それもそのうちネットワーク機能を自前で備えたデバイスに入れ替わってしまうのだろうけどさ。
ストレージを含めたデータ操作というレイヤーはまんじゅうのほんの薄皮だけを残して、肝心のアンコは、ほとんど「あっちがわ」に行ってしまうこと。でも、そんなアンコを握ったところは、社会に不可欠な怪物になっちゃうだろうし、会社としてそれが存続している以上、誰かに買われたり売られたりする対象になっちゃうだろうから、そういうアンコ独占に反対するような社会的ブレーキがかかるだろうということ。もしくは、相互にデータ移行可能な複数のサービスAPIが定義されて、インフラとして安定するのか。いずれにせよ、そこまで行くにはまだ時間がかかるってこと。
それらはマスユーザーを前提とする広告をベースとしてビジネスが成立していて、サービスそのものは無料で提供される今のTV放送的なビジネススキームに乗ったものであること。でも、ほんとに広告ビジネスの資本投下割合が大きく変化するのかどうかはまだ見えていないので、どこまでこのモデルでやっていけるのかわからないこと。うまく説明できないけど、なんか健全じゃない気もするのね。最近、日記に広告を入れ始めてようやくその不健全な感覚がわかりはじめてきたような。
それらのサービスは、APIとして公開されて、別の誰かによってくっ付けたり、切り貼りされたりして、新しいサービスに生まれ変わっていく。そういうのはインフラ屋ではなく、ちょっとしたアイディアを若干のコードに変更できる程度の人であれば、だれでも参入できるような敷居の低いものになるだろう。
まだこのくらいしか理解できてないよ。
大きな変化になるのだけど、その影響範囲がまだ見えていない。薄皮じゃなくて、アンコを見るのが重要なんだけど。アンコが移動するのが感覚的にわからないのだろうな。それと、アンコにもうまいのとまずいのがあって、なんか世の中ウンコなアンコで埋もれるのじゃないかという不安もあるよ。世間に対してメディアが果たして来たディレクションに相当する機能が求められることになるのかな。そうしないと落ち着かないし。アルファブロガーのような人がその役割を果たしてくれるのだろうかというのは、ちょっとまだよくわからないね。そうなると、世の中新興宗教の山になってしまうような気もするし。
インターネットを進める側であった時には、こんな世界を夢見たような気がするけど、それが現実に近くなってみると、それはどっちかというと怪物の支配する混乱したディストピアに近い感じがしている。まぁ、現実がその混乱した姿をそのままにネットワーク上にシフトしてきただけなんだろうけど。せっかく1つの共通認識基盤を確立した人類がまたバラバラになってしまうような気がするよ。