ネットから長文が消えたいくつかの理由

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0702/05/news015.html
そもそも、システムの問題じゃないのではないだろうか。
長い文書を書ける各訓練を受けたor自力習得したという人そのものが圧倒的に稀有だ。社会に出ても、1000字を越えるような文書を書く機会というのは普通にはないし、もちろんそのような教育は学校では受けられない。書くことに目覚めた人、快楽を感じる人が、ひたすら書き、先達によって書かれたものを研究し、そして書けるようになってゆく。
短い私的な文書なら携帯メールで書く修行を積んでいるので、同じ感覚でブログを書くことはできる。しかし、それは同類に見られ(読まれではない)、定型パターンのキモチを伝えることは意識していても、同じ感覚を共有しない人々にでも読め、何かを訴えかけ、伝えることを意識してはいない。いまは、たまたま、そのような文字列がどんどん生産されて公開されているだけだろう。
「ブログがもともとは広く情報を公開するためのツールであるという感覚」というのはもともとなかった。BLOGはWebLOGであるので、Web上のコンテンツを引用し、コメントを少し付ける、そういう道具として発展してきた。私的ブックマークの延長がブログであるので、ブックマークがそのような機能を発展させてきたのであれば、もはやブログに頼る必要はない人が多いのも当然のことだろう。
文字によって思考を外部化し、推敲によってそれを整理、物語に仕上げることで再吸収する。そういう思考過程に快感をおぼえ、それを生きる上で必須とする人は少数派だ。普通に生きる中では、文字で考える必要はほとんどない。フレーム認識とパターンマッチだけで十分だ。そこでは、よくある物語は必要でも、自分のオリジナルな物語は必要がない。
論客が使う道具としてはブログは効果が高いかもしれないが、そこから論客が育つとはとても思えない。