クラクフでプログラミングを独学した連中からポーランドのテクシーンが生まれ育った
彼らがすぐに悟ったのは、必要とする人材を生み出すためには、当地のテクシーン全体の底上げに自ら尽力する必要がある、ということだった。彼らは各地でミニ集会を開き、CEOのEla Madej(両親が二人とも当地草創期のコンピュータ科学者)は西欧のテクカンファレンスを訪ねてまわり、VCたちとのコネを築いた。それだけではない、彼らは意図的に、ブログとツイートを英語でやった。ぼくが彼らのことを知ったのも、そのおかげだ。
さらにもっとも重要なのは、アウトソーシングではない独自製品を作って、スタートアップの世界へ入っていったことだ。