「MAKERS」の意味するところ

http://tomowatanabe.hatenablog.com/entry/2012/11/25/200008
曲を作るということは、太古から自由だよね。
演奏するという技術については、DTMが解消しているし。
発表する場としてのネット環境が整備されたというのが違いかな。
ミクは、

  • 歌うことに訓練と技術がいらなくなった
  • 同じ歌手でみんなで歌わせることができるようになった
  • 表現力がプアなレベルで統一されたので差がでなくなった

というのがこれまでとの違いではないか。
そこで生き残るのは、素人の仕事ではなく、プロやセミプロの仕事だと思う。
そこから感性的には新しいものは生まれていない。


3Dプリンタが実現するのは、同様に訓練のいらない造形なのではないか。
支援するのは3D CAD。それが無料になったこと。
金型がいらない造形なら、これまでもいろいろ手段があったから。
Arduinoが実現するのも、電子的プログラミング的知識のいらない制御。
そこから生まれるものの波及力は、たいしたことがない。
結局はプロの仕事が必要になってしまう。


この手の議論は80年代にも行われていて、「第三の波」は80年だし。
増田米二の"機会開発者"コンセプトもこの頃。
たまたま、この週末、部屋の掃除をしていて「機会開発者―21世紀情報社会の生活者像」の最初を読みなおしてみた。
なんか、変わってないかなという感じ。
時代は繰り返す。


豊かさが失われた後には、ニッチトレンドを追うのは、困難なことなのじゃないかな。