本の虫: 自由ソフトウェア財団が技術的な指導力を失いつつある

http://cpplover.blogspot.jp/2012/12/blog-post_4164.html

自由ソフトウェア財団とリチャードストールマンのいくつかの決定には不服である。

要点は、以下の三点に集約される。

1) ぶっきらぼうに言うと、GNUプロジェクトがこの業界で広く使われるには、自由ソフトウェア財団の勧告を無視する必要がある。GNUコンパイラーコレクションがCからC++に移行した時、ストールマンが関わっていたはずがないし、GNOMEgnome-shellの拡張言語としてJavaScriptを選んだときもそうだ。

時に、一人の人間が決定を下すのは、良いことである。例えば、GNUメンテナーのような様々なグループの集合に、C++のコーディング規約を同意させるのは難しい。しかし、ストールマンがよこしてくれるのは、「C++よりCの方が望ましい。何故ならば、C++は汚いからだ」だけだ。この結果、GNUのコーディング規約は長年更新されず、すべて古臭いものと成り下がっている。

これは、プログラミング言語だけに限定される話ではない。libabcのようなものは、本来GNUコミュニティから発生すべきものであったが、そうではなかった。

さらに、GNUコーディング規約では、セキュリティに対する言及が一切ない。いまだに、「Unixプログラムには静的テーブルや固定長文字列がよく使われているが、これは制限が多い。動的確保を使え」などと宣っているが、信頼できない入力を扱うときは、その制限が必要なときもあるのだ。

たしかに組織としては、古臭く固定化されたイメージがあるね。