Compizの開発者、今後の発展をやめ保守のみし、Waylandへの移植もしないと表明

http://cpplover.blogspot.jp/2013/01/compizwayland.html

主な理由は、Wayland環境では、Compizの存在価値がなくなるから、また細分化の弊害のためだとしている。

CompizをUbuntuとUnityのために長年保守してきて学んだことは、コンポジットエンジンとウインドウマネージャーを正しく動作させるのはとても難しいということだ。実に多数の考慮すべき問題があるし、グラフィックドライバーはまともにうごかないし、OpenGLを使うのは嫌になる。Canonicalで働いていたとき、98%の労力はコンポジットエンジンとウインドウマネージャーを保守することに費やされ、2%の労力が、新機能の提供に費やされた。存在理由を探す方が難しい仕事だ。
Linuxのエコシステムにおける断片化の弊害だ。単に、車輪の実装が複数あるというのではない。ほぼ同じことをする完全な車両の実装が複数あるが、どれもほんのわずかだけ違っているのだ。ある者曰く、これこそ自由なソフトウェアの最大の強みであると。断片化の弊害を身をもって思い知らされた今、最大の弱みであると思う。

わたしはかつて、自由ソフトウェアの最高な点は、プロジェクトはメンテナーやコードベースがいなくなっても使えることであると思っていたが、間違いだった。
自由ソフトウェアの最高な点は、コードベースがその本来のプロジェクトを離れて活用できるということだ。
自由ソフトウェアの美しいところは、完全に終了することがなく、常に可能性の開かれている芸術品だということだ。プロジェクトからメンテナーが離れても、開発を続行できる道具は他者に残されているので、新しいメンテナーはプロジェクトを続行するか、あるいは新しいプロジェクトで部分的に再利用するかを選択できる。

↑これ、重要。