自ら学ぶ人

kurosakaさめの日記経由
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前川さんのネタは普通の会社員、たださんのネタは技術者という部分で、すでに論点が違うと思います。たださんの言われるのは構造的な問題点ではないし、前川さんの言われるのは構造的な問題です。
自ら学ぶ人というのは、上司にかかわらず勝手に成長するもんですし、そうでない人には「そういうスタイルになってみれば」と言ったくらいではどうしようもないギャップがあると思います。そもそも自ら学ぶ人というのは、総人口の中で比率はそうかわらずに一定なものではないでしょうかね。
そして、インターネットの普及によって、自ら学ぶ人とそうでない人との間のギャップというのは量でも質でも時間でもこれまでより大きく深刻なギャップを社会の中に生み出そうとしているようです。若い世代と高年齢者の間にも、相互不理解をいっそう深刻にするような部分があるように思います。うちの小学生の娘が、高齢者向けのPC活用番組を見て馬鹿にしたような態度を取るのを注意したりしていますが、こういう事が普通の職場でも起きていないかというのは心配ですけど、その状況はよくわかりません。
人口比率の問題は、教育によって改善されうる部分はあるとは思いますが、かならずしもそうでない人もいるわけで、そのあたりはいくらやってもデッドラインがあって、仕方がないのではないでしょうか。
自ら学ぶような人材が技術屋の社会的ニーズ上昇と、裏腹な賃金条件で相対的に比率が減っているという構造問題はあるのでしょうが、こちらはモジュール化・ブラックボックス化で道具や仕事のほうを変えるしか解決できないのではないでしょうかね。
自ら学ぶ人でも、学び方は模倣によって学習していくわけで、模倣の対象となるようなモデル、つまり尊敬できる上司が少ないというのは、かわいそうかもしれません。社内にいないのであれば、模倣の対象を外部に求めよというのがたださんの主張なら、いい意見だと思います。年寄りが生き方のモデルになれないような時代というのも、半生の終わった自分から見ても、悲しい時代になったもんだと思います。
派遣などに代表されるように労働者は「人格」ではなくて、使い捨ての「モノ」という世界にあっては、働く現場にいる人はたいへんだなと思います。昔、アルバイト時代にある雇い主が「どんな人でも来てくれたからには、ちゃんと使ってあげなければならない」と言っていたのを思い出しますが、それが今では通用しないのか。コスト優先デフレな世界とは生き難いものなのでしょうか。
あいかわらず、まとまりがないけど、このへんで...
# 初期のLinux/OSS業界というのは、自ら学ぶ人が多くて、ほんとにいろいろ助けてもらってます(^^)。